1930-1936: カール・シェーファー • 1937-1938: フェリックス・カスパー • フィンランディア杯ではフリーでトゥループとサルコウの2種類の4回転ジャンプを成功させ優勝。グランプリシリーズでは初戦のスケートアメリカ、地元・宮城県で開催された第2戦のNHK杯と、2戦続けてショートプログラムで歴代最高得点を更新、GPファイナルでは2位となる。全日本選手権では初優勝を果たした。, 四大陸選手権では、ショートプログラムでは1位だったものの、フリーでは4回転サルコウが2回転に、3回転ルッツが1回転になるミスがあり3位。総合得点では2位になった。しかし世界選手権では、2月からの体調不良と左膝の故障の影響からSPでは精彩を欠き、9位と出遅れた。さらにフリーの公式練習で右足首を故障したが、満身創痍で臨んだフリーでは3位となり、総合では日本男子最高の4位に入った(翌2014年2月開催のソチオリンピック男子シングル種目は、髙橋大輔の6位との成績で最大の3枠を確保)[133]。左膝の故障のため、2013年世界フィギュアスケート国別対抗戦は辞退した[134]。2013年4月に早稲田大学に進学した。, 2013 - 2014シーズンを前に、2013年7月1日に全日本空輸(ANA)と所属契約した[135]。シーズンインするとフィンランディア杯で2年連続の優勝。, スケートカナダとエリック・ボンパール杯はともにパトリック・チャンに次ぐ2位。福岡市で開催された2013年GPファイナルではショートプログラムの歴代最高得点を更新、フリーでは自己ベストを大幅に更新し、総合1位でGPファイナル初優勝を果たす。, 2014年2月、ロシアで開催のソチオリンピックでは、団体戦のショートプログラム1位となるが、日本は5位に終わった[137]。, 男子シングル個人種目では、ショートプログラムの『パリの散歩道』で101.45点をマーク、公式大会世界最高得点かつ、史上初の100点超えを達成し首位に立った。しかしフリースケーティングでは、冒頭の4回転サルコウで転倒、直後の4回転トウループは成功したものの、3回転フリップで再び着氷に失敗。演技後半の3回転アクセルからのコンビネーションは2回とも成功させたが、3回転ルッツ - 1回転ループの直後、3回転サルコウが認定されないなど不本意な演技となり、自己ベストには程遠い178.64点にとどまった[138]。フリー演技終了直後のインタビューでは「(体が)全然動かなかった。(本番直前の)6分間練習から焦っていた。はっきりいって自分の演技に満足していない。終わったあとは、金メダルは駄目かなと思った」と語っていた[139]。, SPで2位につけていたパトリック・チャン(カナダ)は羽生の直後に滑走。冒頭4回転 - 3回転トウループのコンビネーションを成功させるも、その後は単独の4回転トウループと3回転アクセルで手を着き、さらに終盤の2回転アクセルでもバランスを崩すなどの着氷ミスが続き、羽生のフリーの得点を上回れず銀メダルに終わった[140]。その後に滑走した2選手もメダル圏内にはおよばず、結果羽生はフィギュアスケート男子シングルの種目において、アジア人初となる冬季オリンピックでの金メダルを獲得した[141][142][143]。, 2014年2月14日時点で羽生は19歳65日という年齢であり、フィギュアスケート男子シングルの金メダリストとしてはディック・バトン(アメリカ合衆国)が1948年のサンモリッツオリンピックで優勝した際の18歳202日に次ぐ史上2番目の年少記録となり、66年ぶり2人目の10代での金メダリストになった[144][145]。さらにオリンピック初出場で金メダルを獲得したのは、ウルリッヒ・サルコウ、イリヤ・クーリックに次いで史上3人目。ソチオリンピックでは日本人唯一の優勝、また平成生まれの日本人として史上初の夏季・冬季を通して五輪の金メダル獲得となり、さらに日本選手で過去冬季五輪の金メダル獲得は記念すべき10個目となった[注 5]。, 表彰後のインタビューではシカゴ・トリビューンの記者フィリップ・ハーシュから東日本大震災についての質問を受け、「金メダルをとったからといって、復興に直接つながるわけではない。自分には何もできていないんだという無力感がある。でも、金メダリストになれたからこそ、これをスタートとして、復興のためにできることがあるんじゃないかと今は思っています」と回答し、故郷への感謝を述べた[146][147]。この質問をしたハーシュは「僕にとってソチ五輪でもっとも忘れられない瞬間は、誰かが成したことではなく日本の羽生結弦が言ったことだ」とツイートし[148]、「19歳とは思えない成熟と謙虚さ、細やかな感受性をもって、この勝利について語った」と羽生を称える記事を書いた[149]。また同席していたニューヨーク・タイムズ の記者ジェレ・ロングマンは「金メダルの獲得こそが、羽生が前進するための出発点となるだろう」と結ぶ記事で勝利を称えた[150][151]。, 2014年3月、さいたま市で開催された世界選手権では、ショートの4回転トウループで転倒し3位と出遅れた。しかしフリーで、国際スケート連盟主催の大会で自身初の4回転サルコウジャンプを成功させる。その後の3回転フリップでエッジエラー判定を受けた以外は、ほぼパーフェクトな演技で総合首位に立つ。総合2位の町田樹を合計得点0.33点の僅差でかわし、逆転優勝を果たした。日本男子シングル種目では、2010年世界選手権の髙橋大輔以来、4年ぶり2人目の世界チャンピオンとなる。さらに「GPファイナル・冬季オリンピック・世界選手権」の3大会を制したのは、2001 - 2002年シーズンのアレクセイ・ヤグディン以来、男女シングルを通じて史上2人目の快挙となった[152]。, オリンピックチャンピオンとして臨んだ2014 - 2015シーズンだが、度重なるアクシデントの影響により、当初挑戦する予定だったプログラムの難度の変更を余儀なくされた。, 初戦となる予定だったフィンランディア杯は腰痛のために欠場。2014年11月、初戦となった上海開催の中国杯ではショートプログラムで2位スタート。フリースケーティング前の6分間練習で、中国の閻涵と衝突事故が起きた[153]。日本スケート連盟は国際試合に医師を帯同させていなかったため、現場では米国の医師に応急処置を受け、頭部と顎にテーピングと包帯を施したままの状態で演技に臨んだ。流血事故を押しての出場は、当初脳震盪の可能性が疑われたため「危険だったのではないか」とメディアの賛否が分かれる事態に発展したが、脳震盪は起こしていないと現場の医師の診断を受けており、最後までプログラムを滑りきり銀メダルを獲得した[154][155]。, この演技終了後に顎を7針、頭を3針縫い、表彰式とエキシビションには出演せず翌日に帰国[156]。精密検査の結果、頭部挫創・下顎挫創・腹部挫傷・左大腿挫傷・右足関節捻挫で全治2 - 3週間と診断を受けた[157]。, 次戦のNHK杯は開催直前まで出場の可否が検討されていたが、最終的には出場し総合順位は4位となる[158]。この結果、ISUグランプリシリーズポイントランキング6位となり、最下位でグランプリファイナルへと進出した。1番滑走で臨むことになったショートでシーズンベストを記録し首位に立ち、フリーでは2種類の4回転を成功させ自己ベストを更新[159]。日本男子初となる大会2連覇を達成し、[160][161][162] 事故を乗り越えての勝利を「存分に体を使える幸せを感じた。今スケートができることが一番の幸せ」と語った[163]。, 続く2014年12月、全日本選手権では3連覇を達成したものの[164][165]、グランプリシリーズ時から断続的に続いていた腹痛の精密検査のため、エキシビションを欠場して緊急入院。「尿膜管遺残症」との診断結果により、翌12月30日に手術を受けた。3連覇を達成した直後に、NHK杯で見えた壁を越えて見えたものはと問われ「壁です。壁の先には壁しかないのかな、と。人間というのはそういうものだと思うし、課題ができたら、人間は欲深いものだからそれを越えようとします。たぶん、僕は人一倍欲張りなんだと思うのと同時に、それを達成するためにサポートしてくれる環境がある。幸せ者だなと思います」と答えた。[166][167][168]。, 手術後は2週間の入院および1か月の安静治療が必要とされたが[169]、退院後に練習を再開。しかし手術で腹部を4センチほど切り、腹筋の感覚に違和感が生じたことが一因で練習時に右足首を捻挫。再び2週間の休養を要し、3月開催の世界選手権への出場は直前まで危ぶまれた[170]。しかし3月上旬から出場する意向での国内調整を進め、全日本選手権以来の復帰戦に挑むこととなった。, 2015年3月、上述の衝突事故が起きた上海の会場で開催された世界選手権では、ショートプログラムで4回転が乱れたものの今季自己ベストをマークして首位に立った[171][172]。術後の回復をアピールしたかに見えたが、フリーの4回転をどちらも失敗。その後は落ち着いてジャンプを決め巻き返したものの、パーソナルベストには程遠いスコアに留まった。結果は、同門のハビエル・フェルナンデスに2.82点およばず銀メダルとなり、日本人選手初となる世界選手権連覇はならなかった。連覇を逃した心境を「悔しさが9割だが、また追いかけることができる立場になった。悔しさをバネに進んでいける」と語り、復帰戦を終えた[173][174][175]。, 捻挫のほか、手術跡が炎症を起こすなどのコンディション不全から、続く4月開催の国別対抗戦への出場の可否は世界選手権後に協議されたが、自身初となる出場が決定[176]。ショートプログラムで96.27点と今季自己ベストを更新して首位に立ち[177]、翌フリープログラムも冒頭の4回転サルコウを決めたほか、ミスを最小限にとどめ首位に立った[178]。フリーの演技後に氷上で「ありがとう」と感謝の言葉を述べ、今季最後の試合を終えた[179][180]。日本は銅メダルを獲得。エキシビジョンでは『パリの散歩道』を同季唯一のノーミスで披露し、参考扱いながらも4回転ループ+3回転アクセルのシークエンスジャンプを成功させた。来季に向けては「また一つ一つ課題をクリアしていきたい」と展望を語り、シーズンを締めくくった[181]。, 映画『陰陽師』のサウンドトラックを用いた新たなフリースケーティングを『SEIMEI』と自ら命名。「安倍晴明」の狩衣をイメージした衣装で、シェイ=リーン・ボーン振付による和の表現に挑んだ[182]。, 初戦のオータムクラシックで優勝[183]。続くスケートカナダのショートプログラムでは、演技後半のジャンプがルール上カウントされず0点となり73.25点の6位発進と出遅れたが[184]、フリーで自身初となる4回転3本を着氷させて巻き返し2位となる[185]。, 続くNHK杯では「挑戦という意味を込めた」として、ショートに4回転サルコウと4回転トウループ - 3回転コンビネーションの4回転2本を組み込む、自身最高難度の構成に急遽変更[186]。ノーミスの演技で、ソチオリンピックで自身が記録した101.45点の世界最高得点を更新する106.33点をマークした[187][188]。「絶対王者になると言い聞かせることで自分にプレッシャーをかけた[189][注 6]」として臨んだ翌日のフリーでは、演技後半の4回転 - 3回転コンビネーションを含む計3本の4回転のほか、すべてのジャンプを成功。技術点は出来栄え評価で23.08点もの加点を獲得し、演技点の「音楽の解釈(Interpretation)」の項目は、ジャッジ9人中6人が10点満点をつける9.89点という圧倒的な演技で安倍晴明を演じきり、史上初の200点台となる216.07点を記録した[190]。トータルスコアでも史上初の300点台となる322.40点を記録し、パトリック・チャンが保持していた295.27点の世界歴代最高得点を大幅に塗り替える前人未到のスコアで優勝を果たした[191][192]。この大会で羽生はショート、フリー、トータルの全スコアで世界記録を更新。ISUジャッジングシステムにおいて、史上初めてショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手となった。, さらに2週間後のバルセロナで開催されたグランプリファイナルのショートプログラムにおいて、NHK杯を超える演技を披露。4回転サルコウと、4回転トウループ - 3回転トウループの連続ジャンプは、9人中8人のジャッジがGOE(出来栄え評価)加点で満点の3点をつけ、PCS(プログラム構成点)は満点の50点に肉薄する49.14点をマーク。110.95点を叩き出し、わずか2週間で再び世界記録を塗り替えた[193]。, 一日置いたフリーでもノーミスの演技を披露。4回転サルコウ、4回転トウループともにGOE満点を獲得し、技術点は120.92点に到達。構成点では9名のジャッジが10点満点をつけた項目が23にもおよび、NHK杯を超える219.48点を記録。トータルで330.43点というスコアを叩き出し、再びすべての世界記録を更新した[194]。プログラム構成上の上限の点数に対する得点がショートが2.70、フリーが6.31とごくわずかの演技で[195]、男子選手としてISUグランプリファイナル史上初となる3連覇を成し遂げた[196][197]。歴史的な記録更新に、会場のインタビューで自身の演技を見た子どもへのコメントを求められ「どうかスケートを、練習を、夢をあきらめないで」と語った[198]。, 続く全日本選手権ではさらなる記録更新に期待がかけられたが、フリーの演技後半の2度のジャンプの転倒が響き183.73点、トータルは286.36点にとどまった。2位の宇野昌磨に20点近い大差をつけ、男子史上29年ぶりとなる大会4連覇を果たしたものの「ひどい演技。自分の中では勝ったとは思っていない」と悔しさをあらわに、2015年を締めくくる試合を終えた[199][200]。, 2016年3月にボストンで開催された世界選手権では、ショートでは自己ベストに肉薄する110.56点を記録。一日あけて臨んだフリーでは「さらに完成度を高めるため」として、後半の4回転トウループを4回転サルコウに変更(実際には左足の靱帯損傷の悪化により変更となった)、しかしここで転倒するなどジャンプの精彩を欠いた演技で、自己ベストには程遠い184.61点にとどまった。トータルスコアは295.17点という結果となり、ショートのリードで逃げ切ることはできず、前回大会と同じく同門のハビエル・フェルナンデスに逆転され、2年連続の銀メダルとなった。期待されながらも王者奪還を逃した敗因を「いい演技をしたい、と欲張った結果が裏目に出た空回りであり、自分の過ち」と分析[201]。演技後は「ここで金メダルを取れないようでは自分はまだまだ」と述べ、去年と同様に悔いの残る世界選手権を終えた[202]。, 大会終了後、左足甲の靱帯損傷の治療のため、帰国はせず練習拠点のトロントに戻ると発表[203]。後日正式に「左足リスフラン関節靭帯損傷」により全治2か月との診断を受け[204]、アイスショーへの出演をすべて取りやめ、治療とリハビリに専念することとなった。, 怪我のリハビリを経て、新たなプログラムに「観客とのコネクト」をテーマにプリンスの『Let's Go Crazy』(ショート)と、『Hope & Legacy』と名付けた久石譲の楽曲(フリー)を選択。4回転ループを含む、6本の4回転ジャンプを組み込む高難度プログラムに挑む。, 初戦のオータムクラシックで、ISU公認大会史上初となる4回転ループを2度成功させる[205] 快挙で優勝[206]。しかし「ぜんぜん体が動かなかった[207]」と苦笑するほど全体的には精彩を欠いた演技で、自己ベストから70点近く低い260.57点にとどまった。不本意な結果に「次の試合ではノーミスで。そのくらい練習していきます。そうじゃないと、羽生結弦じゃないです」と雪辱を誓った[208][209][210]。しかしグランプリシリーズ初戦となる、続くスケートカナダのショートで「慎重になりすぎた」と4回転を失敗し、4位発進と出遅れる[211]。フリーは1位で追い上げるも、トータルスコアでパトリック・チャンにわずかに届かず、同大会2年連続で2位となった。ショートの出遅れが響き今回も263.06点というスコアにとどまったが、初戦の体力切れを改善し演技後半のジャンプを安定して決めることができたことから「悔しさ9割、達成感1割」と総括した[212]。, 続くグランプリシリーズ2戦目のNHK杯では、ショート冒頭の4回転ループの着氷のみ乱れたが、演技後半のトリプルアクセルがGOE満点評価を受けるなど圧倒的な演技で103.89点をマークし首位に立つ[213][214]。フリーでは4回転サルコウ - 3回転トウループのコンビネーションの4回転サルコウで転倒があったものの、4回転ループ、4回転サルコウ、4回転トウループと3本の4回転ジャンプを成功させる安定した演技で197.58点をマーク。今季世界最高得点となる総合301.47点で優勝し、グランプリファイナルへの進出を決めた[215][216][217]。今回もノーミスの演技は達成できなかったことから、ショート・フリーともに演技後に「もうちょっと」と、指で自身の演技の完成度を悔しがる仕草を何度も見せていたが[218]、フリーについては「冷静に考えたら全然もうちょっとじゃなかった。かなり頑張ってきます」とさらなる向上を誓い、「悔しさ4割、ホッとした4割、楽しかった2割」と大会を総括した[219]。, 12月8日よりマルセイユで開催のグランプリファイナルに、史上初となる4連覇をかけて出場。ショート冒頭の4回転ループの着氷を何とか堪え、すべてのジャンプを成功。スピン、ステップのすべてで最高評価のレベル4を獲得した。ステップはジャッジ9人中8人がGOE満点のプラス3をつけ、上限となる2.1点の加点を得るという圧倒的な演技で、シーズンベストを更新する106.53点をマーク[220][221][222]。首位発進で臨んだフリーだったが、冒頭の4回転ループと4回転サルコーは成功するも、演技後半の4回転サルコーで転倒するなどミスが相次ぎ失速。得点を伸ばすことができず、フリーは全体3位となる187.37点にとどまった。しかしながらショートでの大幅なリードに助けられ、2位まで追い上げたネイサン・チェンに10点以上差をつける合計293.90点で大会を制し、男女を通じてグランプリファイナル史上初となる4連覇を達成した[223][224]。また大会4度の優勝は、男子では羽生が憧れるエフゲニー・プルシェンコと並ぶ記録となる。この結果を喜ぶ一方、ノーミスの演技を達成できなかった悔いの残るシーズン前半戦を「めちゃくちゃ悔しい。反省点だらけ」と総括。シーズン後半に向け、改めて4回転ジャンプ4本を組み込むフリー構成の完成を目指す[225]。, 次戦は5連覇をかけた全日本選手権となる予定だったが、帰国後にインフルエンザを発症し咽頭炎を併発する。大会前日の段階でも発熱が続いており、さらに1週間の安静加療が必要と診断されたことから、正式に全日本選手権欠場を発表した[226][227]。不在に終わった全日本だが、上述のグランプリファイナル優勝および、過去に出場した世界選手権における実績などから選考基準を満たしており、2017年にヘルシンキで開催される世界選手権の代表に選出された[228][229]。, 2017年2月、復帰戦となる四大陸選手権に出場。ショートは冒頭4回転ループをほぼ完璧に決めるも、続く連続ジャンプの4回転サルコウが2回転となるミス。トリプルアクセルで満点の加点を得たものの、97.04点の3位発進と出遅れた。[230][231] 逆転をかけたフリーは演技後半の4回転サルコウ+3回転トウループが2回転+1回転になってしまったが、終盤のコンビネーションを急遽4回転トウループ+2回転トウループに変更するなど圧巻のリカバリーを見せ、自身初となる4本の4回転に成功。[232][233] 今季最高得点となる206.67点を叩き出しフリー1位となったが、合計303.71点はショート1位のネイサン・チェンにわずかに届かず2位に終わった。今回も四大陸選手権の優勝はならず、同大会で獲得した銀メダルは3個目となったが「優勝したかったが、今までで一番楽しかった銀メダル」とし、「自分の限界に挑戦している感覚が非常に好き。この時代に生まれてよかった」と、ライバルとハイレベルな戦いに挑む喜びを述べた[234][235]。, 3月にヘルシンキで開催された世界選手権に出場。ショートでは、冒頭の4回転ループを自身最高となる2.43点の加点を得る出来栄えで完璧に決めるも、続く連続ジャンプの4回転サルコウの着氷が乱れ、左膝をつくミス。その体勢から急遽両手を上げての2回転トウループをつけたが、これはコンビネーションとは認定されず大幅に得点を失う[236]。さらに、名前を呼ばれてから30秒以内にスタート位置につけず「スタート遅れ」の規定違反により1点の減点を受け、98.39点という厳しい得点になる。109.05点で自己ベストを更新した首位のハビエル・フェルナンデスとは10.66点差の5位発進と大幅に出遅れる 36: 島川浩 • 1993: カート・ブラウニング • 1963: ドナルド・マクファーソン • 1898: ヘニング・グレナンダー • 2003: 本田武史 • 1984: アレクサンドル・ファデーエフ • 国民栄誉賞 最年少受賞!羽生結弦さんのこれからを占ってみる. 57: 前山正 • 12月7日、宮城県仙台市に生まれる(4歳からスケートを始めた) 2008. 1982: スコット・ウィリアムズ • 1989-1991: カート・ブラウニング • 2010-2011: 髙橋大輔 • 38: 木村司 • 40: 佐藤栄一 • 2017: ネイサン・チェン • 羽生 結弦 (はにゅう ゆづる、 英語: Yuzuru Hanyu 、 1994年 ( 平成 6年) 12月7日 - )は、 宮城県 仙台市 泉区 出身の フィギュアスケート 選手( 男子シングル )。 全日本空輸 ANA 所属 。 1897: グスタフ・ヒューゲル • 2012: 羽生結弦 • 2013: パトリック・チャン • 2010-2011: パトリック・チャン • 56: 岩田俊彦 • 2017-2018: 宇野昌磨 • 1986: ウラジーミル・ペトレンコ • 羽生結弦選手のsp演技終了後、大歓声とともに、実況のnhk鳥海貴樹アナウンサーが言った「帰ってきました! 」 これぞスポーツ実況の真骨頂では。 1997: エルビス・ストイコ • 2004-2005: エマニュエル・サンデュ • 1925-1928: ウィリー・ベックル • 1983-1984: ブライアン・オーサー • 1993: エフゲニー・プリウタ • 2006: 織田信成 • 1962: ドナルド・ジャクソン • 64: 守永勝利 • 2004/05: デニス・ファン • 1947: ハンス・ゲルシュビラー • 1983: クリストファー・ボウマン • 1969-1970: ティモシー・ウッド • 1999-2005: エフゲニー・プルシェンコ • 2005-2006: ステファン・ランビエール • 79: 加納誠 • 2016年9月30日にモントリオールで開催されたオータムクラシックのショートプログラムにおいて、国際スケート連盟(ISU)公式の国際大会史上初めてクリーンに成功させた(2016年10月2日、ローザンヌにて公式に認定)[88][89]。, 4回転ルッツは公式練習でも着氷していたが[90]、2017年ロステレコム杯のフリーよりプログラムに組み込み、公式戦初挑戦で成功させた。公式練習では4回転フリップにも挑戦している[91] が、こちらは試合に組み込む意向を示したことはない。4回転アクセルについては、幼いころに従事していた都築章一郎コーチからも「アクセルは王様のジャンプ」と教わった経験や、自身がアクセルジャンプを得意としていることからも思い入れが深く「将来的には必ず4回転アクセルを跳びたい」と常に語っている[92]。平昌五輪後の挑戦を示唆していたが[93]、2018 - 2019シーズンより実戦への投入を目標に練習中である[94]。, 4回転の連続ジャンプにも挑戦しており、[95][96]2017年国別対抗戦のフリーでは「4回転トウループ - 1回転ループ - 3回転サルコー」の3連続ジャンプを初めて成功させた[97]。 2018年フィンランド杯のフリーでは、こちらも史上初となる「4回転トウループ - トリプルアクセル」のコンビネーションを成功させている[98]。, 地元仙台市で長年阿部奈々美から指導を受ける。2012年よりブライアン・オーサーに師事[99]。トロントのトロント・クリケット・スケーティング&カーリング・クラブに所属し、オーサーをチームリーダーとする「チーム・オーサー」による指導を受けている[100]。ジャンプ担当はジスラン・ブリアン[101]。スケーティング担当はトレイシー・ウィルソン、スピン担当コーチはペイジ・アイストロップ、ショート振付師はジェフリー・バトル、フリー振付師はシェイ=リーン・ボーン、エキシビション振付師はデヴィッド・ウィルソン[102]。その他宮本賢二[103]など。, スケート靴の調整は、中学生のころから仙台市(現在はアイスリンク仙台隣接地)に工房を構える元コーチ阿部奈々美の夫の吉田年伸が担当している[104][105]。カナダに練習拠点を移して以降も、小包で送るか帰国時に持ち込んで調整を依頼しており、工房でも羽生専用の研磨機を用意して対応している[106]。, 1998年の長野オリンピックにおけるフィギュアスケート競技日本代表のうち、7人中4人(田村岳斗、本田武史、荒川静香、荒井万里絵)が仙台市の東北高等学校に在学中の高校生選手であり、かつ4人とも長久保裕の教え子であった[107]。これを発端に仙台でフィギュアスケートブームが起こる。長久保や4選手が所属するコナミスポーツクラブ泉のリンク(現・アイスリンク仙台、地図)で1999年に佐野稔が開催した子供スケート教室に姉が通い始め、この姉の影響により羽生も4歳でスケートを始めた[55][108][109]。同じダイエー系列の新松戸アイスアリーナが2002年1月に閉鎖になると、同アリーナを指導していた都築章一郎が仙台に移り、小学2年から小学6年まで指導を受けることとなる[110]。都築に個人指導を受けるようになったのは小学3年からだが、友達と遊びたい時期に練習ばかりがハードになっていったため、このときはスケートが嫌になり野球をやりたいとも言い出した。しかし「好きで始めたことに屈したくない」と練習を続け、翌2004年10月に初出場した全日本ノービス(Bクラス)で優勝。9歳で初めて金メダルを獲得した[111]。, 優勝した直後の2004年12月にホームリンク(七北田小から徒歩10分程度)が経営難で閉鎖したため、勝山スケーティングクラブ(地図)に練習拠点を移した。勝山は七北田小から道なりに約6キロ(渋滞がない早朝なら車で約15分だが、夕方ラッシュ時は30分程度)離れており、貸切時間もあまり取れず練習時間は一気に減った。リンクメイトの少年たちも何人も辞めていき、この時期に伸び悩むこととなり[111]、2005年はノービスBで2位、2006年はノービスAで3位となる[112]。都築は旧・東神奈川スケートリンク(横浜市)へ移籍となり、羽生とは離ればなれになった。2007年3月、閉鎖されたかつてのホームリンクがアイスリンク仙台として営業を再開すると、羽生も練習拠点を同リンクに戻した[111]。, 2007 - 2008シーズン、全日本ノービス(Aクラス)で優勝[112]。まだノービスの選手(中学1年)ながら全日本ジュニア選手権で3位となる。ノービスの選手が全日本ジュニア選手権の表彰台に上がるのは日本男子史上初[113]。, 2008 - 2009シーズンからジュニアに上がり、ISUジュニアグランプリ (JGP)に参戦。全日本ジュニア選手権で初優勝を果たし、初出場となった全日本選手権では出場選手中最年少ながら8位に入る。世界ジュニア選手権でも大会最年少(14歳3ヶ月)ながら12位となった。[要出典], 2009 - 2010シーズン、初戦のJGP トルン杯でJGP初優勝。続くクロアチア杯でも優勝し、JGPファイナルでは史上最年少(14歳)で総合優勝を果たした[注 3]。全日本ジュニア選手権では2連覇を達成し、全日本選手権ではショートプログラム13位から、フリースケーティングの演技後半に3回転アクセル - 3回転トウループ - 2回転トウループのコンビネーションジャンプを決めるなどして追い上げ、総合6位となった。世界ジュニア選手権ではフリースケーティングで大幅にパーソナルベストを更新して優勝。, 日本人男子としては初の中学生で、髙橋大輔(2002年)、織田信成(2005年)、小塚崇彦(2006年)に続く4人目の世界ジュニアチャンピオンになった[114]。2010年4月、私立東北高校に進学[115]。, 2010 - 2011シーズン、シニアデビュー戦となったISUグランプリシリーズのNHK杯で、フリースケーティングで自身初となる4回転トウループを成功させ4位に入賞。出場3回目の全日本選手権では4位となり、四大陸選手権の代表に選出された。2011年2月に開催された四大陸選手権ではショート、フリーともに自己ベストを更新する演技で、初出場で銀メダルを獲得。男子選手としては四大陸選手権史上最年少のメダリストとなった。3月4日に宮城県知事を表敬訪問[116]、同日仙台市役所を訪問し四大陸選手権の結果を報告した[117]。3月7日には東北高校の壮行会にて四大陸選手権銀メダルの報告をした[118]。, 3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。地震発生時は仙台市のアイスリンク仙台で、先輩スケーターと貸切状態で練習中であり、四つん這いでスケート靴を履いたまま外へ避難した[119]。羽生本人や家族、阿部コーチやリンクメイトは無事であったが、同リンクは被災して営業休止になり、自宅も大きな被害を受けたため避難所で4日間過ごした[120]。3月12日にはベガルタ仙台のホーム開幕戦のハーフタイムに四大陸選手権銀メダルの報告会と花束贈呈が行われる予定だったが[121]、試合と共に全て中止となった。震災で多くの死者・行方不明者が発生し、大勢の避難者が避難所生活をしているさなか「もうスケートなんてやってる場合じゃない」と毎日考えていたが、自身が在学する東北高校野球部が避難所でボランティアをしながら第83回選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園)に出場し、3月28日の初戦を全力で戦っている姿をテレビで観て、スケートへの意欲を取り戻した[122]。羽生の練習場所を心配し、すぐに濱田美栄と田村岳斗が阿部コーチに連絡してきたが、かつて師事した都築コーチがいる旧・東神奈川スケートリンク(現・横浜銀行アイスアリーナ)で、地震から10日後に練習を再開した[123]。兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の41日前に生まれた羽生は、4月9日に開催された兵庫県スケート連盟主催「東日本大震災チャリティー演技会 ~復興の街、神戸から~」に招待され、東北高校の先輩の田村・本田・荒川らと演技を披露した[124]。震災を経て、Twitterですぐにメッセージを送ったジョニー・ウィアーらや、ファンからの手紙、羽生の現状を伝えるメディアなど、さまざまな支えにより生きていることを痛感し「目標を掲げて、上を目指していくしか、自分にできることはない。そのために精一杯、やれることは全部やっていこう」と決心[125]。4月からは、テクノルアイスパーク新井田(青森県八戸市)を仮の拠点とし、復興支援目的のアイスショーへ多数出演して各地を転々としながら練習を続けた[120][126][127]。7月24日、アイスリンク仙台が営業を再開したため、羽生も拠点を戻した。, 9月にはネーベルホルン杯に出場し、シニアクラスの国際大会では初の優勝を果たす。ISUグランプリシリーズでは中国杯で4位に終わるも、続くロステレコム杯でグランプリシリーズ初優勝を果たし、ISUグランプリファイナル進出を決める。初のISUグランプリファイナルでは、総合得点でパーソナルベストを更新するが、1.73点の僅差で表彰台に届かず4位となる。全日本選手権では、ショートプログラムで4位と出遅れたが、フリースケーティングで1位となり総合3位、これにより自身初となる世界選手権代表に選出された。, 世界選手権のショートでは7位発進と出遅れる。しかしフリーでは中盤繋ぎの部分で突然転倒するアクシデントを起こしながらも、エレメンツはパーフェクトにまとめて巻き返し、2位まで追い上げる[128]。この結果、総合で3位に入り、初出場で銅メダルを獲得[129]。特に技術要素点ではパトリック・チャンや髙橋大輔らを上回る同大会最高の点数をマークした[130]。17歳3か月でワールドメダリストとなったが、これは日本男子史上における最年少記録となっている[注 4]。, 2012年の4月にコーチをブライアン・オーサーに変更。夏からはオーサーの指導拠点となるクリケット・クラブ(Toronto Cricket Skating and Curling Club、地図)があるカナダ・トロントに渡り練習を開始した[131]。羽生自身はオーサーの師事を決めた理由として、同じくオーサーの指導を受けることで4回転ジャンプの精度が上がったハビエル・フェルナンデスに着目し「自分の最大の武器である4回転が安定すれば、スケーティングや表現力など、ほかの部分も上達するチャンスが出てくると考えました」と語っている[132]。 71: 伊吹武彦 • 右足に負担をかけない演技構成に急遽変更し、痛み止めを服用したうえで演技に臨んだ[346]。4回転ジャンプ3本を確実に決めたが、後半の3回転アクセルで転倒するなど終盤のジャンプミスが響き167.89点にとどまった。しかし合計278.42点となり、自身初となるシリーズ2連勝でグランプリファイナル進出を決めた。ファイナルを含むISUグランプリシリーズ通算10勝は、日本人男子最多記録となる[347]。 羽生結弦には、平安時代の美しい武士、兜は被ってはいません。 平家の壇の浦で戦った美しい鎧を着た武士です。優しい顔つきの若い武士で羽生結弦の前世と思われます。 フィギュアスケートの大会には 今世の羽生結弦と一緒に銀盤の上を舞います。 2019/20: 佐藤駿, 1930: 片山敏一 • 55: 道家豊 • 73: 尾崎久郎 • 1977: ロビン・カズンズ • 2002: 髙橋大輔 • 1986: アンジェロ・ダゴスティーノ • 1929: ギリス・グラフストローム • 2005: 織田信成 • 1991: グジェゴシュ・フィリポフスキ • 1923: フリッツ・カチラー • 1997: イリヤ・クーリック • Shutterstock.com あの男子フィギュアスケートの羽生結弦選手が2014年暮れも押し詰まった12月30日、緊急入院し、手術をした。一体、彼に何が起こったのか? 振り返れば11月8日、中国上海で行われた2014-2015シーズンのグランプリシリーズ第3戦男子フリーの直前練習で、中国の…(1/2) 羽生結弦「Let's Go Crazy」、宇野昌磨「ブエノスアイレス午前零時」ほか、日本人選手2016-2017プログラム曲 フィギュアスケート2015-2016 日本人選手編 羽生結弦「SEIMEI」、浅田真央「素敵なあなた」ほか、日本人選手2015-2016プログラム曲 18: 壷井達也 1988: ブライアン・ボイタノ • 92: 相吉学 • 1976: ロン・シェーバー • 74: 関守雄 • 93: 岡崎真 • 2018/19: スティーブン・ゴゴレフ • 1980: スコット・ハミルトン • 1991-1992: エルビス・ストイコ • 1975: セルゲイ・ボルコフ • 2016: パトリック・チャン • 1939: グラハム・シャープ • 2014: 無良崇人 • 63: 道家敏充 • 1995: イリヤ・クーリック • 50: 徳江洋 • 次戦は11月のNHK杯を予定していたが、9日の大阪市中央体育館での公式練習にて4回転ルッツで転倒した際に負傷[268]。翌日午後に日本スケート連盟が「右足関節外側靱帯(じんたい)損傷」との診断結果を発表し、正式に欠場が決まった[269]。この時点でグランプリファイナル出場を逃すこととなり、史上初となる5連覇の可能性は消滅した[270]。, トロントに戻り、12月の全日本選手権への出場を目指して治療に専念したが[271]、骨と腱にも炎症があるなど回復が遅れ、練習を再開することができず断念[272]。18日に日本スケート連盟が正式に欠場を発表した[273][274]。引き続きリハビリを優先し[273]、全日本選手権終了時点の段階で、ジャンプ抜きの氷上練習を再開した状態にあると発表。逆算して回復が間に合う見込みであること、現世界ランキング 1位であり、規定に沿って正式に平昌オリンピック代表に選出された[275]。, 1月の四大陸選手権も回復優先のため回避し[276]、2月9日に開幕した平昌オリンピック団体戦への出場も「完全回復にあと1週間必要」とのブライアン・オーサーの判断により回避[276]。11日に現地入り後は慎重に調整。まだ日本勢が金メダルを獲得していない話を記者に向けられると「誰が(金メダルを)とろうが、僕もとります」と断言[277]。約4か月ぶりとなる復帰戦として、男子シングル66年ぶりの五輪連覇がかかる個人戦に臨む[278]。, 2018年2月16日、江陵アイスアリーナでショートプログラムに出場。4回転ループは回避するも[279]、演技後半のトリプルアクセルは、審査員全員からGOE満点の評価を得るなどすべてのジャンプを完璧に決め[280]、ブランクの不安を払拭する圧巻の演技を披露した[281]。自己ベストに肉薄する111.68点をマークし首位発進となる[282]。 2004: ジョニー・ウィアー • 2018: 金博洋 • 1981: ノルベルト・シュラム • 13: 田中刑事 • 1979: (非開催) • 1977: ウラジミール・コバリョフ • 1986: ブライアン・ボイタノ • 羽生結弦のモチベーションの上がる名言を紹介します。このページは人気が続いていて、Twitterなどでもリツイートが多いです。羽生結弦のこの記事。本日2位。これもずっと読まれている。『羽生結弦:モチベーションの上がる言葉92選』 — 橋本哲児 2006: ステファン・ランビエール • 2017: ヴィンセント・ジョウ • [385]。FSは、トリプルアクセルで転倒する等、172.05点にとどまり、合計282.77点で2位となった。「調整がうまくいかなかった。体がどんどん、日に日に劣化していく感じだった」「正直言って、僕の実力と技術が足りなかった」と試合後に語り、「一緒にまた引っ張っていけたら。頑張ろうね、おめでとう」と優勝した宇野昌磨を称えた[386][387]。今大会を含め5週で3試合という大変過酷な日程であった。今後は四大陸選手権への出場が発表され、来年3月にモントリオールで開催される2020年世界フィギュアスケート選手権の代表に選出された[388]。, 2月四大陸選手権に4年振りに出場。楽曲を変更し、SPは「バラード第1番」、FSは「SEIMEI」に戻すことを発表。それぞれ通算4度目・3度目の再演となる[389]。変更理由については、プルシェンコとウィアーの背中という理想が高いゆえに自分の演技として完成できないと思い、より自分らしくいられる以前の楽曲を戻したと明かした[390]。SPはトリプルアクセルと連続ジャンプの順番を替え、4回転トーループ-3回転トーループを先に決める構成に変更。4回転サルコウで4.43点の高い加点を得るなど演技をまとめ、111.82点と世界最高得点を更新[391]。FSでは4回転トーループで転倒するなどミスがあり187.60点となるも、合計299.42点で初優勝となった[392]。これにより、オリンピック、世界選手権、四大陸選手権(ヨーロッパ選手であれば欧州選手権)、グランプリファイナル、世界ジュニア選手権、ジュニアグランプリファイナルの主要国際大会6冠達成したことになり、男子シングル史上初のスーパースラムを達成した[393]。なおジュニアグランプリファイナル開催前のアレクセイ・ヤグディン、エフゲニー・プルシェンコが5冠。女子シングルではキム・ヨナ、アリーナ・ザギトワが達成している[394][注 7]。, 3月開催予定の世界選手権は、《COVID-19》の感染拡大を受け、カナダ・ケベック州政府により11日(日本時間12日)、世界選手権(モントリオール、16~22日)を中止すると発表した [395]。また、国際スケート連盟は、オンライン理事会で協議した結果(4月16日)大会開催を断念して中止とすることを決定した[396]。, 7月国際スケート連盟は、新規創設によりISUスケーティングアワードを開催(2019/20シーズン3月の世界選手権にあわせて行われる予定が《COVID-19》による影響で延期されていた)。授賞式はオンラインで開催され、羽生は「最優秀選手賞」に輝いた。初代「MVS= Most Valuable Skater」受賞者となった[397]、羽生は「皆さんのおかげで、こうやってスケートができていること、自分が追い求めるスケートができることが本当に幸せです。いつも応援ありがとうございます。これからも一生懸命、自分の理想のスケートを追い求めて頑張っていきます。どうか応援よろしくお願いします」と感謝の言葉を述べた[398][399]。, 8月⽇本スケート連盟より、8月28日付けで、ISUグランプリシリーズ欠場が発表された[400]。, 9月早稲田大学(人間科学部)を卒業した[401]。8月に3Dモーションキャプチャによるジャンプを研究テーマにした卒業論文[402][403]の完成を明かしていた。, Hope & LegacyView of SilenceAsian Dream Song作曲:久石譲振付:シェイ=リーン・ボーン, 2012年から2017年までの間に 12回世界記録を更新している[427]。この世界最高得点は、ルール改正によりスコアがリセットされた 2018 - 2019シーズンより世界歴代最高得点の歴史的記録として保存されている[428], 1896: ギルベルト・フックス • 2004: ジェフリー・バトル • 07: 無良崇人 • 2011: 羽生結弦 • 1994: エルビス・ストイコ • 94: 重松直樹 • 1987: ルディ・ガリンド • 54: 朽木久 • 33-34: 星野正三 • 10: 中村健人 • 1998/99: ヴァンサン・レステンクール • 2004: アンドレイ・グリアゼフ • 2015-2016: パトリック・チャン • 14: 宇野昌磨 • !”, http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000015.000010201.html, “羽生結弦選手がオーダー枕を作る、東京西川「 &Free」新テレビCMが9月28日(水)から全国放映開始! 1991: ヴァシリー・エレメンコ • みみゆんの羽生結弦選手全力応援ブログ ハビエル・フェルナンデス君情報 日本代表&日本の至宝!羽生結弦選手の全力応援ブログ♡ 平昌五輪、さいたまワールドで羽生選手メッセージ応援企画。 時々ハビエル・フェルナンデス元スペイン代表の情報も。 2017: セルゲイ・ボロノフ • 2014年6月に宮城県のみやぎ絆大使に就任した[42]。, ジャンプ、スピン、ステップの全方位に秀でたオールラウンダーである[69][70]。, ジャンプは、準備動作が少なくてもただちに跳ぶことができるのが特徴で[71]、踏み切りから着氷後の流れまで美しく跳び幅があり、GOE(出来栄え点)加点を得るための8つの評価要素をすべて満たしている質の高さが特長[72]。 1998-2000: アレクセイ・ヤグディン • 羽生結弦 ~年表で振り返る~. ãã£ã®ã¥ã¢ã«å¤ãã大ä¼ãè¨ç»ä¸ï¼, ã¾ããã®ã³ã¼ãå
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1954: 大橋和夫 • 1955: 杉田秀男 • 1956-1965: 佐藤信夫 • 1966-1968: 小塚嗣彦 • 1969-1971: 樋口豊 • 1972-1976: 佐野稔 • 1977: 五十嵐文男 • 1978: 松村充 • 1979-1981: 五十嵐文男 • 1982: 染矢慎二 • 1983-1986: 小川勝 • 1987-1988: 加納誠 • 1989: 藤井辰哉 • 1990-1992: 鍵山正和 • 1993: 及川史弘 • 1994: 天野真 • 1995-1996: 本田武史 • 1997: 田村岳斗 • 1998: 竹内洋輔 • 1999-2000: 本田武史 • 2001: 竹内洋輔 • 2002: 本田武史 • 2003: 田村岳斗 • 2004: 本田武史 • 2005-2007: 髙橋大輔 • 2008: 織田信成 • 2009: 髙橋大輔 • 2010: 小塚崇彦 • 2011: 髙橋大輔 • 2012-2015: 羽生結弦 • 2016-2019: 宇野昌磨, ※ 開催年は年度 1929-65年度は翌年1-4月、1966-81年度は同年11-12月、1982-96年度は翌年1月、1997年度以降は同年12月に開催された。, 1976: マーク・カックレル • 1997: アレクセイ・ヤグディン • 1994: トッド・エルドリッジ • 1989: ヴィアチェスラフ・ザゴロドニュク • 1979: ヴィタリー・エゴロフ • [カナダcbc実況] 羽生結弦 2018 平昌オリンピック fs [スポーツ] カナダcbc実況です。解説はカートさん。翻訳入れていれていただいた方ありがとうございましたm(_ _)m 1985: ヨゼフ・サボフチク • 2008: 髙橋大輔 • このためクリーンに跳ぶとGOE満点となる3点(現在は5点)、または満点に近い高い加点を獲得する[73]。試合では4種類の4回転ジャンプ(トウループ、サルコウ、ループ、ルッツ)を跳ぶが、最大の武器は確実に加点のつくトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)である[74]。 羽生結弦もっこり集でごめんなさい 2015-2016: ハビエル・フェルナンデス • 1995: アレクセイ・ウルマノフ • 2010: アダム・リッポン • !”, http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000037.000010201.html, http://music-book.jp/video/news/news/125074, http://news.walkerplus.com/article/88094/, https://cyclestyle.net/article/2017/04/18/47450.html, http://cyclestyle.net/article/2015/10/30/29292.html, 買ってあてよう羽生選手オリジナルQUOカードその場でもらおう羽生選手オリジナル羽毛ひざかけ2019/10/29西川, https://web.archive.org/web/20150623091509/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150623/k10010124181000.html, https://www.youtube.com/watch?v=-XxsFUckX3Q, <羽生結弦>新CMで至高のスケーティング披露!「最も得意な部分を見せられるのは嬉しいです, 「雪肌精 MYV」を最高峰シリーズ「雪肌精 みやび」とし、日本らしさを発信。グローバルミューズとして羽生結弦選手を起用, フィギュアスケーター羽生結弦選手シチズン中国のアンバサダーに就任2019/8/22, 羽生がシチズン中国のアンバサダーに 北京五輪市場見据え「中国でも大きな影響力」2019/08/22, https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/1802/1281190/index.html, https://www.rbbtoday.com/article/2014/02/16/116913.html, https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180207, http://news.livedoor.com/article/detail/14270107/, http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180226, https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12144-322184/, https://web.archive.org/web/20151226051737/http://www4.nhk.or.jp/P3834/, https://web.archive.org/web/20160103025333/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20151231-OHT1T50063.html, http://mainichi.jp/articles/20160301/ddm/018/200/031000c, http://music-book.jp/video/news/news/117193, http://news.walkerplus.com/article/75984/, http://www.oricon.co.jp/news/2097549/full/, https://news.walkerplus.com/article/122000/, http://www.ntv.co.jp/program/detail/21865690.html, “アナザーストーリーズ 運命の分岐点「羽生結弦オリンピック連覇~メダリストたちが語る最強伝説」”, http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/x/2019-02-04/10/22669/1453112/, http://www.tvu.co.jp/program/2019_anotherstories_0129/, NHK総合112月28日羽生結弦オリンピック連覇~メダリストたちが語る最強伝説アナザーストーリーズ 運命の分岐点, 2010年15歳での初出場から2019年4回目の優勝まで。羽生のNHK杯、ショートとフリーすべての演技を一挙放送。BS1で放送した番組を80分版にリニューアル!, http://www.oricon.co.jp/news/2056189/full/, https://web.archive.org/web/20160826093443/http://www.ntv.co.jp/24h/topics/2016/08/post-12.html, http://news.livedoor.com/article/detail/13525568/, https://www.asahi.com/and_w/interest/entertainment/CORI2118252.html/, “被災地への思いを込めて、羽生結弦・ディズニーが感動のアイスショー!<24時間テレビリポ>”, 羽生結弦、松任谷由実の「春よ、来い」に乗せて華麗なスケーティング2019/08/24, 羽生結弦と松任谷由実が夢の共演!「被災地の皆さんの心に春を届けたい」2019/08/24, “羽生結弦、“殿さま”役で映画初出演!「殿、利息でござる!」で阿部サダヲらと共演”, http://www.cinemacafe.net/article/2016/02/04/37590.html, 羽生関連本、まるで皇子級 一方フィギュア誌はジレンマ2018年4月20日18時54分朝日新聞デジタル, http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000106.000011710.html, https://www.chuko.co.jp/tanko/2018/03/005049.html, http://www.asahi.com/shopping/yuzuru_141024/, http://music-book.jp/book/news/news/122218, “アイスジュエルズ特別編集羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2016-2017”, http://www.kazi.co.jp/icejewels/books/photo2016_17/photo2016_17.html, “アイスジュエルズ特別編集羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2017-2018”, http://www.kazi.co.jp/icejewels/books/photo2017_18/photo2017_18.html, http://www.kazi.co.jp/icejewels/backnumber/photo_olympic2018/hanyu_olympic2018.html, https://www.shinshokan.co.jp/book/book_show.html?SRC_URL_MANAGE_CODE=978-4-403-31126-0, https://sportiva.shueisha.co.jp/future/yuzuru2//, 羽生結弦写真集「YUZU’LL BE BACK~Dancin’ on The Edge2」(2019年6月)スポニチ, 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2018-2019(2019年07月19日発売)舵社, 羽生結弦 シーズン・フォトブック2019-2020 (2020.06.01発売)舵社, 写真集「羽生結弦 2019-2020」6月17日発売!(2020年5月27日)スポーツ報知, 羽生結弦選手の“神”写真集第3弾「YUZU’LL BE BACKⅡ~Dancin’on The Edge3」全国の書店で発売決定(2020年5月26日)PR TIMES, https://books.shueisha.co.jp/items/contents_amp.html?isbn=978-4-08-790024-8&isbn=978-4-08-790024-8&__twitter_impression=true, https://sportiva.shueisha.co.jp/announce/yuzuru_cal/, https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12160-1698477/, “『羽生結弦 フィギュアスケート2017-2018シーズンカレンダー』予約受付開始!”, https://sportiva.shueisha.co.jp/contents/information/2017/07/05/2017_2018/, 羽生結弦スポーツ選手初のDVD首位 初週売上枚数も歴代最高2014/07/23- 04:00【オリコン】, 羽生結弦、スポーツ関連作品史上初のBD1位獲得【オリコンランキング】2019-10-03 04:00, 羽生結弦選手エキシ使用楽曲がAmazon前日比4,932%アップ! イル・ヴォーロ「ノッテ・ステラータ(星降る夜)」. 1998: アレクセイ・ウルマノフ • 15: 山本草太 • 87-88: 鍵山正和 • 羽生結弦の衣装がピチピチで股間がもっこり目立ってしまって気になっている人も多いのではないでしょうか? 特に羽生結弦の女性ファンの方たち、、、 ほんとにごめんなさいほんとにごめんなさい. 2006: 小塚崇彦 • 2000/01: 馬暁東 • 羽生結弦 自分への挑戦」(2018年1月15日、日本テレビ), 「Continues ~with Wings~ 羽生結弦 凱旋、そして感謝の公演<生中継>」(2018年4月15日、, 羽生結弦プログラムコンサート 〜Music with Wings〜(2020年2月15日、, 24時間テレビ38 つなぐ〜時を超えて笑顔を〜(2015年8月22日、日本テレビ) - 「被災地の想いをつなぐ 羽生結弦アイスショー」と題し、, 24時間テレビ39 愛〜これが私の生きる道〜(2016年8月27日) - 「羽生結弦 被災地に愛を込めて…生アイスショー」と題し、, 24時間テレビ40 告白〜勇気を出して伝えよう〜(2017年8月26日) - 自身の, ファースト写真集『YUZURU 羽生結弦写真集』は初週売り上げ2.3万部を記録し、, 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2015-2016(2016年7月29日、Ice Jewels特別編集、, 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2016-2017(2017年7月29日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明), 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2017-2018(2018年7月14日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明), 羽生結弦 平昌オリンピック2018 フォトブック(2018年3月9日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明), YUZURU II 羽生結弦写真集(2018年10月15日、集英社、撮影:能登直), 「YUZU’LL BE BACK~Dancin’ on The Edge2」(2019年6月11日、, 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2018-2019(2019年7月19日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明), 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2019-2020(2020年6月1日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明), 「YUZU’LL BE BACKⅡ~Dancin’on The Edge3」(2020年6月19日、スポーツニッポン新聞社、撮影:小海途良幹、長久保豊), 『羽生結弦 カレンダー 2015年』壁掛け版&卓上版(2014年9月24日、ハゴロモ), 『羽生結弦 カレンダー 2016年』壁掛け版&卓上版(2015年9月2日、ハゴロモ), 『羽生結弦 カレンダー 2017年』壁掛け版&卓上版(2016年8月31日、ハゴロモ), 『羽生結弦 カレンダー 2018年』壁掛け版&卓上版(2017年9月26日、ハゴロモ), 『羽生結弦 カレンダー 2019年』壁掛け版&卓上版(2018年9月15日、ハゴロモ), 『羽生結弦 フィギュアスケート2016-2017シーズンカレンダー 壁掛け版&卓上版』(2016年9月30日、, 『羽生結弦 フィギュアスケート2017-2018シーズンカレンダー 壁掛け版&卓上版』(2017年9月29日、Sportiva特別編集、集英社、撮影:能登直), 『羽生結弦 フィギュアスケート2018-2019シーズンカレンダー 壁掛け版&卓上版』(2018年9月14日、Sportiva特別編集、集英社、撮影:能登直). 97-98: 竹内洋輔 • 2014-2016: ハビエル・フェルナンデス • 2001: エフゲニー・プルシェンコ • ハイドロブレーディング [82][83]、イナバウアー[84]も得意で、多くのプログラムに入れている[85]。, 試合では4種類の4回転ジャンプ(トウループ、サルコウ、ループ、ルッツ)をプログラムに組み込んでいる。, 4回転ループは、アイスショーやエキシビションのフィナーレなど(4回転ループ - 3回転アクセルを着氷している[86][87])で跳んでいたが、2016 - 2017シーズンより競技に取り入れている。 JAPAN, 「Yahoo!検索大賞2014」、フィギュアスケート「羽生結弦」さんが“大賞”と“アスリート部門”をダブル受賞!, “羽生結弦選手Yahoo!検索大賞 2018で「アスリート部門賞」&「スペシャル部門賞」をW受賞!2014年には大賞なども”, http://www.edgeline-tokyo.com/entertainment/24338, 武井咲、羽生結弦が「きものベストドレッサー2018」に選出!凛々しい紋付袴・着物姿が人気, 2019年の「ローレウス世界スポーツ賞」年間最優秀復帰選手部門にノミネートされたフィギュアスケートの羽生結弦(ANA), 第7回スペイン日本財団賞の授賞式を開催、マドリードでのイベントには、フェルナンド・バレンズエラ外務副大臣とスペイン日加評議会財団のジョセップ・ピケ会長が出席。スペインの日本大使館は、清水徹が代表が出席(2019/10/29), “平昌2018冬季オリンピック応援キャンペーンに 男子フィギュアスケート・羽生結弦選手を起用!”, http://prw.kyodonews.jp/opn/release/201703149844/, “P&G新TV-CM「『お母さん、ありがとう。』羽生選手篇」を11月17日(金)から全国放映開始!”, https://prw.kyodonews.jp/opn/release/201711107818/, https://www.ana.co.jp/tokyo2020/pyeongchang/, http://news.walkerplus.com/article/49862/, http://www.oricon.co.jp/news/2048568/full/, ““ゆづ”羽生結弦、意外すぎるヒミツ「耳動きます!」今季は「技術の裏づけである表現力高めたい」”, “羽生結弦がロッテ「ガーナミルクチョコレート」新CMに出演!元気すぎる「OK」ポーズが完成!”, http://www.wws-channel.com/news2/20763.html, http://www.lotte.co.jp/products/brand/ghana/cm_hanyu/index.html, https://news.walkerplus.com/article/169391/, 羽生結弦がロッテWEB動画に出演 自身キャラ化のアイテムに「スケーターっぽく…」2019年09月04日, 羽生結弦のキャラクターが誕生&新WEB動画公開!「恥ずかしくなってきた(笑)」2019/09/04, 羽生結弦バージョンのガーナチョコ、受注販売へ ロッテ (2019年8月30日)朝日デジタル, 羽生 新CM撮影で打ち明けた秘話“こゆづ”に原点回帰で頂点へフィギュアNHK杯22日開幕(2019年11月21日)スポニチ, 子どものころのエピソードを語る「毎日泣いて『スケートやめたい』」<ロッテ新CMインタビュー>(2019/11/21)ザテレビジョン, http://www.daily.co.jp/gossip/2014/10/20/0007433546.shtml, http://www.lotte.co.jp/products/brand/xylitol/white/index.html, http://www.cinemacafe.net/article/2015/10/15/34861.html, http://news.mynavi.jp/news/2016/10/28/016/, https://web.archive.org/web/20141225172319/http://news.mynavi.jp/news/2014/12/25/401/, http://www.jrc.or.jp/activity/blood/news/150101_002913.html, http://www.huffingtonpost.jp/2016/12/21/yuzuru-hanyu-jrc_n_13781540.html, http://news.mynavi.jp/news/2016/12/22/014/, “復興支援をはじめとした、日本赤十字社の活動に力を 東日本大震災復興支援事業のご案内 メッセンジャーに羽生結弦選手を起用”, http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000012272.html, https://www.bathclin.co.jp/news/2015/0220_01.htm, http://news.mynavi.jp/news/2015/02/20/467/, https://www.bathclin.co.jp/news/2016/1014_2373/, “寝具メーカー「東京西川」の新快眠寝具トータルブランド「&Free」のテレビCMが4月5日㈰から放映開始! 52: 海野雅之 • !ジュニア2冠とシニア主要4大会の“完全制覇”で新たな歴史刻んだ, フィギュア世界選手権が中止 羽生結弦ら出場予定も 2020年03月12日 日刊スポーツ, |ISU Skating Award初代受賞者 2020年7月11日国際スケート連盟, 羽生結弦が初代最優秀選手賞「期待に120%応えていきたい」…ISUアワード(2020年7月12日)スポーツ報知, “羽生結弦が9月に早大卒業 スケートと学問両立、羽生在学中に五輪連覇と国民栄誉賞”, “羽生結弦、人類初の4回転半習得へ“研究”中 卒論完成し練習専念(2020年08月26日)”, https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2020/08/26/kiji/20200826s00079000097000c.html, CAMPUS NOW 早稲田大学広報 SPECIAL INTERVIEW 羽生結弦さん 「原動力は、学びを無駄にしないという思い」, 羽生結弦、クワッドアクセル修得へ5回転トレーニング/フィギュア9/13(金) 10:17, 羽生結弦公開練習 フリーはプルシェンコの伝説曲「スケートに没頭した始まり」【一問一答1】, 羽生結弦、66年ぶり2連覇 冬季五輪の個人種目で初めて連続で頂点、平昌五輪2018年2月17日JOC, 羽生絶叫「勝った-!」今季GP初戦で自己最高322.59点ぶっちぎりでV/フィギュア, 【国民栄誉賞授与一問一答】羽生結弦「みなさまの力がみなさまに還元されている」2018年7月2日サンスポ, 平昌冬季オリンピック・パラリンピックメダリストに東京都栄誉賞・都民スポーツ大賞贈呈, http://www.news24.jp/articles/2015/04/24/09273719.html, 羽生結弦がフィギュア最優秀選手、スピードは新浜立也 2020年03月25日スポニチ, 羽生結弦「ビッグスポーツ賞」を受賞 大谷翔平と並び「自分てこんなに小さかったんだ…」, <ビッグスポーツ賞>特別賞を受賞し、ビデオメッセージで思いを語るフィギュアスケート・羽生, 「Yahoo!検索大賞2014」Yahoo!検索大賞2014 - Yahoo!検索 - Yahoo!