女構成としては、女性が約39% (2018年末現在)と、まだ女性比率が低いのが現状です。 国連では10年以内にこれを50%まで引き上げるのを目標としており、空席ポストへの女性の応募を推 … 員の活躍を通じた広い意味での人的貢献も行ってきています。 ; June Kunugi 功刀純子 UNICEF(国連児童基金) パレスチナ事務所特別代表 ®åˆ¥ã®ãªã„未来を少女と女性たちに。国連ウィメン日本協会の支援プロジェクトへの寄付をお待ちしております 員の活動紹介一覧(undp駐日代表事務所のウェブサイト) 国連女性機関(un women)で活躍する日本人; 国連食糧農業機関(fao)で活躍する日本人 室はニューヨークの国連本部ビルの真向かいにあり、その椅子に座るのが日本人女性、中満泉だ。 「会う暇なんか、ないでしょ? 」と聞くと、中満は「学生さんのグループにはできるだけ会おうと思っているんですけどね」と言う。 を取得。その後、74年に国際基督教大学准教授、80年に上智大学教授に就任。76年には日本人女性として初の国連公使となり、その後91年には日本人として、また女性と … 状況は以下のとおりです。 (1) 女性の割合 : 42.6ï¼ å“¡æ•°ã¯75名(うち女性44名)となっています。 員の数が相対的に少ない問題がある。外務省が作成した以下の表を見てください。これは、国連事務局に限定した数値ですが、どの国際機関でもこうした傾向は往々にしてあると思います。 に、日本人女性中満泉さんが就任したというニュースがとびこんできた。 緒方貞子さんは、日本人で初めての国連難民高等弁務官として、1991年から2000年まで10年間の任期を務めました。, 緒方さんは1927年東京都に生まれ、幼少期をアメリカ、中国、香港などで過ごしました。聖心女子大学卒業後アメリカに留学し、ジョージタウン大学で国際関係論修士号を、カリフォルニア大学バークレー校で政治学博士号を取得。その後、74年に国際基督教大学準教授、80年に上智大学教授に就任。76年には日本人女性として初の国連公使となり、その後91年には日本人として、また女性として初の国連難民高等弁務官に就任しました。, 緒方さんが高等弁務官に就任した1991年は東西対立構造がもたらした冷戦が終わりを告げ、民族、宗教などに起因する地域的な紛争が増え続けていた時期でした。, 緒方さんの就任時期に、湾岸戦争が勃発しました。それを機にイラクのクルド人が武装蜂起し、制圧しようとするイラク軍から逃れるため、わずか4日間のうちに180万人のクルド人がイランやトルコの国境地帯に逃れました。, そのうち40万人のクルド人がトルコの国境に向かって避難しましたが、トルコ政府が入国を認めなかったため、国内避難民として国境地帯にとどまることになりました。当時、UNHCRでは国内避難民の保護は直接的な任務ではなかったため支援を行うべきかが議論になりました。しかしながら緒方さんは人道的視点から、そして人命を守るため、彼らを保護し支援することを決断したのです。, 短期間にできる限り多くのUNHCRの職員が集められ、すぐにイラクに派遣されました。そして冬を迎えようとする中、クルド人の出身地である北イラクにUNHCRは難民キャンプを設営しました。また、キャンプの治安維持のためイラク北部の駐留期間を延長するように米軍に要請しました。, この時、緒方さんは人道的見地からそれまでの難民保護の考え方を超え、新しい支援の枠組みを作り出したのです。, ユーゴスラビア連邦からスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナが分離独立したことにより、1992年ボスニア紛争が始まりました。ボスニアにはセルビア系住民、クロアチア系住民、イスラム系住民が暮らしていましたが、独立をきっかけに民族対立が深刻化し内戦となったのです。, UNHCRはまずボスニア政府と交渉して、サラエボ市民に食糧の空輸を行いました。ところが、飛行場に届いた物資を町までトラックで運ぼうとすると、ボスニア政府はその道路を封鎖し、UNHCRによる物資の輸送と配布を妨害したのです。, サラエボ市内のセルビア系の地域にはイスラム系が多く暮らす一帯がところどころにあり、UNHCRはそうした場所も含めて物資を輸送しようと試みました。しかしそのためにはセルビア系が輸送を妨害しないよう、終始交渉しなければならず、輸送は遅々として進みませんでした。, この状況に対し、ボスニア政府はサラエボへの道路を封鎖することでイスラム系により多くの物資が届くように仕向けたのです。, そこで緒方さんは、もし道路を封鎖するのであれば、サラエボを含めて、セルビア人勢力支配下のボスニアにおける全ての救援活動を直ちに一時停止すると発表しました。人道支援が政治的に利用されることを回避するためでした。, 紛争下の混乱した状況においても、緒方さんは常に冷静に 人道支援を政治的な思惑から引き離すよう努めました。, ルワンダでは1994年フツ族過激派によるツチ族の虐殺が起こり、わずか4ヶ月でおよそ80万人が虐殺されました。さらに24時間で推定25万人のルワンダ難民がタンザニアへと流出し、8月までにザイール(現コンゴ民主共和国)、タンザニア、ブルンジ、ウガンダなどへ200万人が逃れました。, ザイールのゴマに100万人規模で流入したルワンダ難民を支援するため、UNHCRはザイール国境沿いのゴマに難民キャンプを設営し、そこで食糧支援を行いました。, キャンプに逃れる難民の中には武装集団に居た人々も混ざっており、最大の難題はキャンプの治安をいかにして守るかということでした。 そのため緒方さんは治安維持のための協力を国際社会に何度も訴えましたが、その要請に応えてくれる国はありませんでした。非常に危険な任務であり、また、かつて武装集団に所属していた人々を保護するということに対する議論があったためです。, 緒方さんは、ザイールのモブツ大統領の親衛隊とアフリカ諸国の仕官に訓練を施し、難民キャンプの治安維持にあたってもらうことに成功しました。, 武装集団だった人々を支援することに対し倫理的に疑問を感じ、活動を引き上げる団体もありましたが、その中でもUNHCRは難民保護活動を継続していきました。, 緒方貞子さんは「人命を救うための最善の選択」という基準のもと、現場の状況に応じて柔軟に判断を行ってきました。, また、強力なリーダーシップのもと、UNHCRの緊急事態即応体制を強化し、各国政府の支持をとりつけ救援物資を輸送する大規模な空輸作戦を展開しました。これはUNHCR史上初めてのことでした。, 同時に緒方さんは、こうした救援活動が人道主義の名のもとに政治的に利用されることに断固として抵抗し、紛争の恒久的解決を目指して国際社会に積極的な関与を求めました。難民問題と平和構築には深い関係があることを世界中に訴え続けたのです。, 緒方さんは2000年に国連難民高等弁務官を退任してからは、総理特別代表としてアフガニスタンの復興支援をしながら、2003年JICA理事長に就任、開発援助、復興支援に携わりました。2012年に退任した後もJICA特別フェロー、名誉顧問として国内外で活躍しました。, 1927年東京生まれ。聖心女子大学文学部卒業後、アメリカに留学し、ジョージタウン大学で国際関係論修士号を、カリフォルニア大学バークレー校で政治学博士号を取得。74年国際基督教大学(ICU)准教授、80年上智大学教授に就任。76年、日本人女性として初の国連公使となり、特命全権公使、国連人権委員会日本政府代表を務める。91年より第8代国連難民高等弁務官として難民支援活動に取り組む。2000年12月退任。01年より人間の安全保障委員会共同議長、アフガニスタン支援日本政府特別代表、国連有識者ハイレベル委員会委員、人間の安全保障諮問委員会委員長を歴任。03年~12年、独立行政法人国際協力機構(JICA)理事長。享年92歳。, 「共に生きるということ」緒方貞子著(PHP研究所、2013年)「紛争と難民 緒方貞子の回想」緒方貞子著(集英社、2006年), JICA主催『緒方貞子元JICA理事長追悼記念シンポジウム「With/Postコロナ時代のグローバルな課題と人間の安全保障」』(2020年11月2日開催)に、フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官がメッセージを寄せました。, 緒方貞子元JICA理事長追悼記念シンポジウム「With/Postコロナ時代のグローバルな課題と人間の安全保障」. として 軍縮 担当( UNODA )上級代表を務める 。 は、中東やアフリカなどの激戦地を歩き人道支援のための難しい交渉に従事した「危機対応のプロ」。そんな中満氏に新型コロナの危機の乗り越え方を聞いた。 英bbc放送は、今年の「世界で最も影響力のある女性100人」を発表した。bbcは、大勢の中から選ばれた100人の女性は「もし女性が世界を指導したら2030年までに世界はどうなるかを想像させる」と述べている。100人の女性の中には2人の日本人が含まれている。 体的なステップ、仕事内容などをインタビュー。国際ボランティア計画(unv)のボン本部ジェンダー分析官の方に話を聞きました。国連ボランティアになるための情報も掲載しています。 中満泉さん, 国際平和協力リレー・メッセージ 第5回 中満泉さん, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=中満泉&oldid=79789916, ジョージタウン大学出身の人物, GND識別子が指定されている記事, ISNI識別子が指定されている記事, VIAF識別子が指定されている記事, WorldCat識別子が指定されている記事, アップロード (ウィキメディア・コモンズ), ウィキペディアに関するお問い合わせ, クリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンス, 『外交フォーラム』「リレー・エッセイ:国際協力の現場から」, 最終更新 2020å¹´10月2日 (金) 02:46 (日時は. 員1,000人を達成すると目標に掲げています。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000064363.pdf たちにこれまでのキャリアや国連での仕事、女性であるがゆえの苦労ややりがいについて語ってもらいます。さまざまなキャリアパスで今に至った8人の女性たち。自身の歩みや体験に留まらず、各機関の女性にかかわる問題へのアプローチや人事政策についても伺いました。 (→詳細)